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2009年12月の記事

2009/12/31

旅納め「雪の北海道」(4):旭山動物園1

旭川市旭山動物園で雪の中の動物たちに会い、元気をもらいました。

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↑ 旭山動物園の東門入口

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↑ ホッキョクグマ(北極熊):通称”シロクマ(白熊)”と呼んでいます。


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↑ 大好きなお魚を、水の中でもらって、お食事タイムです。


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↑ ゴマフアザラシも冷たい水の中で元気に泳いでいました。

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↑ ホッキョクギツネ(北極狐):夏は褐色、冬は白色と毛色が変わるそうです。

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↑ レッサーパンダ:よく動き回り、食欲も旺盛です。


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↑ エゾシカも雪の中でも元気でいます。

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↑ オオカミの夫婦。

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↑ タンチョウズル(丹頂鶴)。

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2009/12/29

旅納め「雪の北海道」(3):猿払から旭川へ

ホタテ貝の養殖で名を知られた猿払に泊まり、ホタテと毛蟹を堪能しました。北海道第2日目は、専用バスで、国道275号線を通ってオトイネップ(音威子府)まで走り、音威子府から高速40号線に乗り入れ、名寄を経て旭川まで行きました。
沿道には、風力発電の風車が見られたり、雪に覆われた樹林のの見事な造形や、氷雪に凍てついた山川が次々と展開する雪景色を楽しみながら旭川市旭山動物園に着きました。

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↑ 猿払のホテルの窓には長いつららが垂れ下がっていました(12月24日 朝)

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↑ 猿払ー浜頓別の海岸。 風力発電の風車が見えました。

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↑ 国道275号線の雪景色。

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↑ 凍てついた川。

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↑ 高速道(40号線)に乗りました。スリップがちょっと怖いですが、ドライバーさんはベテランののようで、周りの雪景色を楽しみました。

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↑ 名寄近くの風景。いよいよ旭川に近くなりました。

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2009/12/28

旅納め「雪の北海道」(2):稚内駅と宗谷岬

日本最北端の路線(北緯45度25分03分)JR「稚内駅」と日本最北端の地(北緯45度31分)「宗谷岬」を訪れました。
15時40分にノシャップ岬を発ち、稚内駅を経て、18時43分に日本最北端の地「宗谷岬」に着きました。冬の北海道は日没はまさにつるべ落としで、3時間ほどの間に日はとっぷりと暮れてしまいました。

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↑ 日本最北端の路線(北緯45度25分03分)

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↑ 日本最北端のJR「稚内駅」

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↑ 日本最北端の線路の「車止め」ごしに眺めた稚内駅の線路とプラットホーム。 
車止めは雪をかぶってがんばっていました。

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↑ JR「稚内駅」 入り口


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↑ ライトアップされた日本最北端の地(北緯45度31分)の碑 

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↑ 左:「日本最北端の地の碑」  右:間宮林蔵(1780-1844)の銅像

[メモ]:間宮林蔵は、1780年に常陸国筑波郡上平柳村(茨城県つくばみらい市伊奈町)の農民の子として生まれたが、地理や算術の才能に優れていることを幕府に認められて、幕府の役人に採用された。寛政11年(1799)、南千島に派遣されたとき、同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学んだ。文化15年(1808)には、樺太探索を幕府により命じられ、3月の雪氷期に松田伝十郎とともに樺太に渡った。このとき、樺太が島であることを知った。翌年の文化6年7月、今度は単独で再び樺太に渡り、樺太が島であることを確信して帰国した。シーボルトはこの功績を認め、大陸本土と樺太島を隔てる海峡を「間宮海峡」と命名して地図に記載した。


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2009/12/27

旅納め「雪の北海道」(1):ノシャップ岬とアザラシ

2009年旅納めの「雪の北海道」ツアーの旅をして来ました。12月23日、晴天の羽田空港からNH571便に乗り、ワッカナイ(稚内)に着いたら空港は一面の銀世界でした。第一日は、バスで野生アザラシの見られるバッカイ(抜海)港を経て、ノシャップ(野寒布)岬から日本最北端のソウヤ(宗谷)岬を廻り、猿払で一泊し、海の幸を賞味・堪能しました。二日目は、ペンギンの行動展示で人気の旭山動物園で冬の動物たちと遊んで、層雲峡温泉に泊まり、源泉100%の温泉にどっぷりつかりました。第三日目は、層雲峡の雪の渓谷美を楽しみながら、札幌に入り市内自由見学をして、新千歳空港発NH74便で羽田に着き、23時に帰宅しました。
昨日の北海道は、かなりの雪積があったようで今朝のTVのニュースを見たら、、新千歳空港は除雪作業が間に合わず70数便の欠航が出たと報じていました。旅はお天気次第、一足早く帰って、ラッキーでした。

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↑ ノシャップ(野寒布)岬:宗谷岬の西側にある岬です。

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↑ 天気の良い日は西の方を望むと、礼文島、利尻島が見えるそうですが、当日は雪空で、雪もちらほら降っており、残念ながら島は見えませんでした。

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↑ ノシャップ岬イルカのモニュメント。時計は午後3時半を指していますが、風は冷たくなり薄暗くなってきました。北海道の冬は日が短いです。4時になると急に暗くなってしまうとのガイドさんの説明に驚かされました。

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↑ バッカイ(抜海)港の防波堤に集まったアザラシ。

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↑ 太い流木が転がっているのかと思ったら、ゴマフアザラシが寝転んでいました。


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↑ 抜海港の灯台。この周辺にアザラシが集まっています。かなり遠いところにいるので、肉眼では見分けがつきません。

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↑ よく見たら、海面にもアザラシが浮き沈みしながら遊んでいました。


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2009/12/22

ツグミの水浴び・羽繕い

ツグミも裏庭に毎日やってくるようになりました。昔は、焼き鳥の材料として、霞網などで一網打尽に捕らえられたりしましたが、今はそのようなことはありません。全国の山野にその姿が見られるようです。

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↑ ツグミ:裏の生垣の下をがさごそ引っ掻いて何か探していました(写 2009/12/20)


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↑ 生垣の下から出て(左)ちょっと警戒のポーズをとりました(右)。


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↑ 水浴び:ツグミも水浴びが好きなようで、毎日水浴びにやってきます。
でも、庭隅に置きっぱなしにしておいて、雨水がたまったプランターの鉢皿での水浴びが気に入ったようで、つくってあげたバードバス(といっても、丸鉢の鉢皿に水を張ったものですが)には目もくれません。

 動画:水浴びした後は、念入りな羽繕いです。

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2009/12/21

メジロとヒヨドリ:専用レストランができました

昨日の朝も寒気が厳しく、バードバスの水は18日以降も連続して氷が張ったが、昨日はお昼ごろになると、少し気温も上がって、寒さが和らいできました。 おなかを空かしたヒヨドリが、メジロにあげたミカンを横取りしてしまうので、ヒヨドリ除けのかごをかぶせたメジロさん専用の餌台をつくってあげました。でも、ヒヨドリさんは恨めしそうに寄ってくるので、昨日は、ヒヨドリさん用にりんごの皮と芯を針金に刺したリンゴレストランをつくり、枝につるしてあげました。

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↑ ヒヨドリ除けの籠をかぶせたメジロ専用のレストランです。

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↑ このレストランだと、食事中に、ヒヨドリに引っ掻けられることはありません。

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↑ ヒヨドリ用のリンゴ・レストランをつくってあげました。メニューはリンゴの皮と芯です。

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↑ 食べ過ぎるといけないので、針金に刺して、梅ノ木の枝に吊るしてあげました。

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↑ 籠を取ったアレンジのオープン・レストランもつくってあげました。こお食事だと見晴らしがいいですね。

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↑ でもやはり、ちょっとヒヨドリさんが心配。

動画:ミカンのレストラン、お友達と一緒に来ました。


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2009/12/20

四国周遊(12):来島と波止浜(最終回)

四国周遊の旅の最終回は来島(くるしま)波止浜(はとはま)です。来島は四国本土の波止浜湾口に位置する面積0.04平方キロほどの小島です。
来島が名を知られるようになったのは、南北朝の時代に懐良親王を助けて頭角をあらわした村上義弘が、瀬戸内海の因島、弓削島を根拠地とし(因島村上家)、その一族が能島(能島村上家)、四国寄りの来島(来島村上家)をそれぞれ根拠地として瀬戸内の制海権を握ったことによる。

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↑ 四国本土の波止浜湾口に位置する「来島(くるしま)」。 南北朝時代以降、来島村上家の根拠地となる。
島の人口34人、世帯数17(2007年1月31日現在)

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↑ 海上から拝む来島の神社。 

天正10年(1582)来島の村上通康は、中国筋に進出してきた秀吉に仕え、天正13年(1585)の四国征伐に際しては小早川隆景の配下となって、伊予の旧主河野氏を攻め、その功により1万4000石を秀吉より与えられる。
その後は、秀吉に味方して水軍を率い、九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役に参戦したが、慶長2年(1597)に朝鮮水軍との海戦で戦死した。享年37歳であった。家督は次男が継ぎ、関が原の戦いでは西軍に組したが、のち東軍についたため、領地安堵となり、慶長6年(1601)豊後玖珠郡森に転封された。

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↑ 今治市波止浜に立地した造船工業(今治造船)。背後は、今治ループ橋。
今治造船HPによると、平成9年に1000隻の建造を達成、平成18年に1500隻の建造数を達成したとある。この数値から計算すると、今治造船グループは、ここ10年間に毎月4.6隻の船舶を進水している。

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↑ 造船ドックが並ぶ今治市波止浜は、明治時代は塩田であったが、明治34年に波止浜に本社を置いた今治造船が操業を開始してからは、造船の町として発展した。現在、今治造船グループは新造船竣工数と造船売り上げ高が国内トップであるとのガイドさんの説明に驚きました。ちなみに2008年のトップスリーの売り上げ高は、今治造船3960億円、三井造船3109億円、三菱重工2401億円です。


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↑ 赤色の灯台、緑色の塔台。 いずれの灯台も、周辺は潮の流れが急なので、注意して航行する必要があります。

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↑ 沖合いをフェリーが航行していました。 一見のどかな風景に見えますが、油断は禁物です。 祈 一路平安!

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2009/12/19

四国周遊(11):来島海峡の八幡渦

金比羅宮を振り出しにしてはじめた四国遊の旅が無事にできたことを大山祇神社にお参りして感謝し、さらにこれからの旅の前途についての平安もお祈りました。

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↑ 来島海峡大橋:四国本土と大島を結ぶ世界初の三連吊橋。大島側から来島海峡第一大橋(960m)、同第二大橋(1515m)、同第三大橋(1570m)と名付けられている。

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↑ 来島海峡第一大橋を下かな眺めたところ。 来島海峡大橋の建設に使われた鉄の量は約10万トン(東京タワー25基分)、コンクリートの量は約48万トン()コンクリートミキサー車10万台分
であるという。

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↑ 中渡島潮流信号所:赤い丸と黒の四角の標識で潮の流れの情報を知らせる。北流の時は赤い丸板が上になり、南流の時は黒色の四角形の板が上に上がる。この信号所は、明治42年日本で初めて設置された歴史をもつ。

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↑ 船から眺めた「八幡渦」:鳴門海峡、関門海峡と並ぶ日本三大急流の一つで、来島海峡の渦潮は「八幡渦」と呼ばれている。
潮流は最大時に時速10ノットを記録すると言うが、見学時はこの日の予定最大潮流時より1時間ほど早かったので、この程度でした(写 2009/12/04 13:47)。

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↑ 大橋の上から眺めた八幡渦(写 2009/12/04 14:15)。

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2009/12/18

四国周遊(10):大三島大山祇神社

松山から大三島に渡り、わが国で最も古い神社の一つに数えられている大山祇(おおやまずみ)神社をお参りしてきました。
神話では、乎千命(オチノミコト)が、神武天皇東征のさきがけとしてこの地に来て、戦勝を祈願し、楠(クスノキ)を植えて大山積神を祀ったといわれています。


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↑ 大山祇神社境内入り口の鳥居。
大山祇神社:仁徳天皇の御世に創祀されたいわれています。また三島宮社記伝には推古天皇2年(594年)に創建されたとある。祭神は大山積(オオヤマツミ、オオヤナズミ)大神で、天照大神(アマテラスオオミカミ)のお兄さんに当たる方です。祭神が神代の時代の人で、大変古い歴史を持つ神社であることが分かる。

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↑ 乎千命(オチノミコト)が植えたといわれている推定樹齢2600年の大楠(昭和26年、国の天然記念物に指定される)

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↑ 左:乎千命が植えたといわれる大楠。根回り20m、樹高16m。  右:謂れが書いてあります(画像クリック[時間がかかるかも]→拡大)

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↑ 神門 

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↑ 拝殿正面

大山祇神社は、山の神、海の神、戦いの神として、歴代の朝廷や武将から尊崇を集めた神社として知られ、奉納された武具(鎧、兜、刀剣など)が宝物館に宝物として保存されています。

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↑ 能因法師の「雨乞いの楠」と呼ばれている楠が境内にありました。樹齢3000年と推定されています(画像クリック[時間がかかるかも]→拡大)。

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2009/12/17

四国周遊(9): 道後温泉

讃岐の金刀比羅宮を振り出しに、四国周遊のバス旅行に便乗しました。高松栗林公園の松を鑑賞し、徳島の祖谷のかづらのつり橋を恐る恐るわたって土佐の国に入りました。土佐の高知は桂浜を愛で、足摺岬、四万十川を巡lって伊予の国に出ました。西伊予は、西予市宇和町、愛媛内子町の古い町並みを訪れて、「湯の国」松山にたどりつきました。いよいよ旅も、大三島を残して最終段階です。道後ではゆっくり温泉につかりました。
ここ、愛媛県の松山市と言えば道後温泉、そして道後温泉といえば、夏目漱石の小説「坊ちゃん」が懐かしく思い出されます。

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↑ 道後温泉本館。3000年の歴史を有すると言われている古湯で、大都市の真ん中で今なお健在なのがうれしいですね。ホテルの温泉はさておいて、早速、この「坊ちゃんの湯」に入りました。

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↑ 左:道後温泉本館入り口(入湯料400円、割引入湯料320円です)  右:又新殿(ゆうしんでん):明治32年皇室専用の湯殿として建てられました。

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↑ 左:道後温泉駅:伊予鉄道城南線の始発・終着駅(1895年開通) 右:「坊ちゃん列車」

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↑ 「からくり時計」:

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↑ 毎正時、時計塔がせり上がり、お人形が踊りを踊ります。

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↑ 道後温泉本館前広場(放生園)には足湯(平成14年完成)もあります。


 

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2009/12/16

シメ:今冬の初訪問・初撮り

昨日は冬の寒さが一段と厳しさを増した朝でした。裏庭のバードバスに目を向けたら、今冬2度目の氷が張っていました。お昼ころ、氷が溶け出したとき、シメが裏庭にやってきました。今シーズン初めての訪れです。
今朝も、寒気は去らないようで、裏の畑は一面に白い霜で覆われていました。雨戸を開け、裏庭の柿畑を覗くと、今朝はアカハラが訪れてきてくれました。カメラを向けたら、驚いてクックックッと鳴いて逃げて行きました。まだ、警戒心が強いようです。アカハラは今冬初見、寒さは、刻々と迫ってくるようです。


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↑ 裏庭を訪れたシメ。今シーズン初めての訪れです(写 2009/12/15)

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↑ くちばしの付け根と、目の回りの黒い模様が濃いので、この子は男の子のようですが、いかがでしょう。

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↑ いろいろな表情をして、周りの様子を眺めていました。シメさん、何を思い、何を考えているのでしょうかね。

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↑ 初訪問のこの日は、地上に降りることもなく、見るだけで帰って行きました。

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2009/12/15

コーヒーブレイク:ナンキンハゼの紅葉と白い実

ちょっと早いかも知れませんが、また、コーヒーでも飲んで一休みしましょう。前日の内子町のローソク屋さんで、和ローソクの原料がハゼの実であることを知り、我が家の近くに街路樹として植えられているナンキンハゼが綺麗に紅葉し、白い実をつけていたのを思い出しました。早速、出かけて見ると、もう葉はすっかり落ちており、白い実だけが残っていました。花のようによく目立つ白い実は、ヒヨドリたちのご馳走なのでしょう、近づくとピーピイ鳴いて飛び去って行きました。幸い、ナンキンハゼの紅葉の写真は、以前の撮り置きが蔵にしまってあったのでここに掲げます。

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↑ 綺麗に紅葉したナンキンハゼ(写 2009/11/30 )

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↑ ナンキンハゼ:トウダイグサ科シラキ属。 落葉高木。 原産地:中国、台湾
  学名:Sapium sebiferum Roxb

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↑ナンキンハゼの果実:裂開したサク果の果皮は落下するが、白い種子はそのまま枝について残る。
種皮は黒色(爪で掻くと黒い種皮が現れる)で、その表面は脂肪に富んだ白色の蝋状物質に覆われている。
この、蝋状物質を人間はローソクの原料として利用する。野鳥がこの実を食べたとき、この蝋状物質に含まれる栄養分は野鳥の胃袋で消化吸収されるが、種子は鳥によって遠くに運ばれ、糞とともに地上に排泄されて、やがて芽を出す。自然界の循環は、うまくできているのですね。

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↑ ナンキンハゼはハゼノキ(単にハゼともいう、またリュウキュウハゼともいう)の実に比べて、蝋質が良く蝋の採取量も優れていたのでハゼノキの代用として使われるようになった。このとき、従来日本で栽培されていたハゼノキとの混同を避けるため、中国原産のハゼと言う意味でナンキンハゼという名が使われるようになったという。
現在では、木蝋をとるという用途はなくなって、秋の紅葉が綺麗なので、庭木、街路樹、公園樹として植えられることが多くなった。


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2009/12/14

四国周遊(8):愛媛県内子町:木蝋で栄えた町

内子町は愛媛県松山市の西南西約40km、肱川流域内の小盆地に立地するる人口約2万人(2009/4 現在)ほどの小都市ですが、江戸時代(大洲藩の藩政時代)の中頃にハゼ(櫨)の栽培が始められ、明治に入ってからは、これを原料とするロウソクが外国にも輸出されるようになり、以後、石油化学の発展により石油を原料とする西洋ロウソクに席を譲る大正時代末期までは木蝋生産の中心地の一つとして繁栄しました。

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↑ 内子町ウエルカム・ゲート

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↑ 内子町「うちこ町並み通り」

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↑ 本芳我家母屋(国指定重要文化財)

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↑左:本芳我家庭園入り口  右:由緒書:本芳我家は、ハゼの流通・木蝋生産で財を成した豪商一族の総本家で、その母屋の建物は1889(明治22)年の建築で、国指定の重要文化財となっている。

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↑ ロウソクの製造販売店「大森和ろうそく屋」:現在でもお店を開いています。

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↑ 原料のハゼの実から、ロウソクのできるまでを、実演入りで説明してくれました。ありがとうございました。


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↑ 伝統的な木蝋からつくる和ロウソクの製造方法が書かれています。


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2009/12/13

四国周遊(7):宇和町の古い町並み・「うだつ」のある家

四国の西部に位置する西予市宇和町の江戸末期から明治初期にかけての町並みがよく保存されている古い町並を散策しました。
宇和町は、1590(文禄14)年に藤堂高虎が、宇和島に城を築き入城するまでは、宇和盆地の中心をなす町として栄えていたが、のち、宇和島藩領(初代藩主伊達秀宗)となって以後は流通の中継地・宿場町として栄え、明治を迎えました。

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↑ ジーボルトに学び、のち宇和に居を構えた蘭方医二宮敬作の住居跡。

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↑ 高野長英が匿われた家。2階建ての家であったが、現在は2階の部分だけが残されている。

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↑ 「うだつ」のある家。 宇和町は宇和島の北方約20kmのところに位置しています。

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↑ 「うだつ」とは、火災の時、類焼を防ぐために、家屋の両端に設けられた’防火壁’をさす。
お金に余裕ができると、つまり、金持ちになると、この「うだつ」を建てるようになる。このことから、のちに、「生活や地位が向上しない」という意味で、「うだつがあがらない」という慣用句が生まれたという。

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↑ 明治15年に建てられた洋風建築様式の開明小学校。1997(平成9)年に国の重要文化財に指定される。


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2009/12/12

コーヒータイム:裏庭、裏の柿畑を訪れた野鳥たち

四国周遊、旅の写真が続きましたので、この辺でコーヒータイムをとって一休みしましょう。12月に入って、裏庭や裏庭続きの柿畑が冬鳥たちでにぎやかになりました。ヒヨドリ避けの籠をかぶせたメジロ専用簡易フィーダー「メジロレストラン」をつくってあげました。すると、早速メジロさんが、12月の5日と8日にやってきました。

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↑ この日は天気が良く、メジロが裏庭の専用レストランにやってきて、ミカンのお食事をして帰って行きました(撮影 2009/12/11)


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↑ 左:レストランには生垣のトンネルを伝わってやってきます。 右:ヒヨドリギャングの襲撃を避けるためかごをかぶせたレストランです。これが今シーズン初撮り。(撮影 2009/12/10)

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↑ 天気の良い日には、柿畑にツグミも食事に来ます。(撮影 2009/12/10)

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↑ ジョウビタキは、梅ノ木の止まる場所が決まっています。この日はちょっと寒く、体が膨らんでいます。(撮影 2009/12/11)


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↑ 12月11日は、小雨がそぼ降る薄ら寒いお天気で、あたりは人影もなく柿畑は静まりかえっていました。こういうお天気によくキジはやってきます。

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↑ しばらく遊弋して帰って行きました。動画↓をとりましたのでご覧ください。



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2009/12/11

四国周遊(6):竜串の足摺海底館

土佐清水市竜串沿岸は黒潮が岸間近まで押し寄せてきているため、真冬でも海水温が高くて暖かい。このため、本州では見ることができない造礁珊瑚が沿岸にみられるところとして知られています。竜串湾に自生するシコロサンゴなどの造礁珊瑚群生地はクラスボートなどで見学できますが、私たちは海岸に建てられた「足摺海底館」で熱帯魚を観賞しました。

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↑ 足摺海底館の看板: 入館料は大人900円です(キャンペーン割引券を持参すると800円)。

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↑ 海底館の遠望。 海中展望塔は塔の直径9m、深さ6mだそうです。

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↑ らせん階段を降り、直径60cmの丸窓を通して海中を泳ぐ熱帯魚を観察できる。丸窓は全部で16個あり、ぐるりと一周できる。


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↑ いろいろな魚が泳いでいました。

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↑ サッパの群? イワシと同じニシン科の魚で、別名「ママカリ」と呼ばれている魚の群のようですが、定かではありません。

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2009/12/10

四国周遊(5):竜串海岸の化石漣痕

四国西南部(土佐清水市)の竜串海岸につきました。朝方の雨は急速に回復して日が差しはじめ、心地よい風が吹いて雨傘は必要なくなりました。南国の雨はさっぱりして気持ちがいいです。竜串海岸は足摺宇和海国立公園内の名勝地の一つで、昭和28年に国の天然記念物に指定された「化石漣痕」(難しい言葉ですね~↓下の掲示板を参照願います)が保存されています。

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↑ 竜串海岸の化石漣痕 左:内湾側を眺めたところ 右:沖会い側を眺めたところ
大きな竹や小さな竹を並べたように見えるところから、「大竹小竹」とも呼ばれている。

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↑ 竜串海岸遠景

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↑ また、この辺一帯は海岸は、弘法大師がこの景勝地を’見残した’ことにちなんで、「見残しの海岸」とも呼ばれています。

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↑ 左: 「夫婦岩」  右: 「竜の卵」岩

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↑ 「鯨の昼寝」岩 前方の碑は弘法大師「見残しの海岸」記念碑


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2009/12/09

四国周遊(4):中浜万次郎と足摺岬

四国周遊第3日(12月3日)は、足摺岬、竜串海岸(足摺海底館)、西予市宇和町(開明学校)、内子町(歴史的町並み)を順次観光したあと、愛媛県松山市の道後温泉で宿をとりました。

Ha01091203s01aashizurimisaki06003ホテル出発時の足摺岬の朝方は思いもかけず雨でしたが、さすが南国の地、寒くはありませんでした。まっ先の訪れたところは土佐清水市足摺岬の中浜(ジョン)万次郎像の立地点です。
中浜万次郎は、1827(文政10)年に幡多郡中ノ浜(土佐清水市)に、漁師の次男として生まれ、1841年14歳の時、出漁中に嵐に会って漂流し、孤島で生活しているところをアメリカの捕鯨船に助けられアメリカ本土に渡った。アメリカでは船長に可愛がられ、航海術などの教育をうけて、1851年に帰国し、帰国後は日米交流のために尽力し(咸臨丸で通訳として再度渡米、維新後は開成学校で教鞭をとる)、1898(明治31)年に72歳で亡くなられた。

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↑ 「天狗の鼻」地点から眺めた、足摺岬と足摺岬灯台。


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↑ 足摺岬灯台:1914(大正14)年4月1日にこの地に設立され、1960年に現在のロケット型のデザイン灯台に改装された。 光質:群閃白光18秒を隔てて、毎30秒に3閃光。 光達距離:38km。 塔高:18.1m。
 
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↑ 金剛福寺。設立の歴史は古く、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開基したお寺で、本尊は三面千手観音菩薩。 中浜万次郎像のすく近くにあり、四国第38番札所となっています。


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↑ 大師亀。頭を撫ぜると願い事が叶うという。空海(大師)が足摺岬地先の海中にある不動岩で修業をするとき呼んで運んでもらった亀にあやかって、崇められています。

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2009/12/08

四国周遊(3):四万十川

日本最後の清流と謳われた四万十川を訪れました。四万十川とは、支流がたくさんある川という意味で、このように名づけられたという。

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↑ 四万十川遊覧船乗り場。四万十市山路「アカメ館」前。
四万十川:全長196kmの四国最長の河川。流域面積は2270km2で吉野川に次いで四国第2位。

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↑ 左:四万十川下流部山路地先より上流部を眺める。 右:同下流部を眺める。
海水と淡水が交わる「汽水域」は河口から9kmまでの範囲に亘る。この辺は、河水の表層は淡水であるが、川底には塩水が入り込んでいる。

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↑ 四万十大橋。 下流部は洪水時でも水につからない永久橋が建設されたが、上流部には増水時には水中に没する「沈下橋」が現在でも数多くある。

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↑ 左:投げ網による鮎漁(デモンストレーション) 右:鮎ではなくウグイ(鮠ハヤ)が獲れました。

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↑ 左:玉網漁(デモンストレーション)  右:獲物は蟹でした。 

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↑ 左:四万十川の名物「青ノリ」のサンプル。  右:青海苔を採る漁具(櫛のような歯があるもの)とうなぎの稚魚をすくう白い円錐形の網。
天然青海苔は四万十川産が全国生産量の約9割を占める。採取期は12月~3月の厳寒期で、これからです。
ウナギの稚魚(シラスウナギ)の漁期は、12月1日から3月5日までで、夜間に集魚灯をつけて行われる。シラスウナギの相場は現在1kg35万円(1匹約65円)だそうですが、キロ50万円で売れたこともあったという。

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↑ 「竜の爪跡」と呼ばれる「瀞」。 ここで、四万十川の怪魚・赤い目をした大きな「アカメ」が釣れたそうです。

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↑ たそがれの四万十川に係留された屋形船の遊覧船


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2009/12/07

四国周遊(2): 坂本竜馬と桂浜

四国周遊第2日目の見どころは、高知の桂浜四万十川です。先ずは坂本竜馬の故郷の地 として知られる高知の桂浜を訪れました。

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↑ 坂本竜馬立像:和服姿に懐手をしてブーツを履いた立像です。桂浜・上竜頭岬の丘の上(地図参照)に立てられています。像は台座を含めて高さ13.4m。

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↑ 桂浜:月の名所として有名で、「日本渚百選」の一つ。40年ほど前に訪れたときは、浜全体が赤、白、緑、紫、灰黒色の五色の石利浜であったと記憶していたが、なんと、その五色砂利は煙のごとく消えうせて、浜はほとんどが普通の砂浜になっていました。 写真:前方は坂本竜馬像が立つ上竜頭岬、手前が下竜頭岬。

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↑ 左:下竜頭岬  右:竜宮橋 
下竜頭岬の先端には「海津見神社」が祀られています。


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↑ 浜海津見神社(愛称「桂浜竜宮」)   左:遠景 右:近景

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↑ 高知灯台:高さ15.5m、灯質単閃白光毎5秒に一閃光、光達距離36km 
明治16年に「竜頭崎灯台」として設立された古い歴史のある灯台。昭和41年に「高知灯台」として名称が変更され、昭和46年に現在位置に移設された。


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↑ 左:ノジギクかハマギクの仲間でしょうか。 右:ハマヒサカキは花盛りでした。

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↑ かわいい鳴き声が聞こえたので、見上げたらメジロが群れをなして飛び交っていました。


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2009/12/06

四国周遊(1): 金刀比羅宮

暦のうえでは冬に入りましたが、まだ山野は晩秋の紅葉に彩られている四国路を、バスでぐるりと一周りして来ました。12月1日、ANA533便で羽田をたち、高松空港に着いて、第1日目は海上交通の守り神として知られている金刀比羅様にお詣いりしました。

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↑ 金刀比羅宮が鎮座する象頭山。

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↑ 本宮まで785段、奥社までは1368段の石段を登ります。参道の両脇には色々なお店が並んでいます。目移りしますが、時間がないのでさっさと登ります。

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↑ 疲れたら、綺麗な黄葉・紅葉を眺めて休みます。

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↑ 最初のお社「旭社」:ご神体は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、御邪那美神、天照大御神、天津神、八百万神で、諸々の神が祀られています。

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↑ 三穂津姫社:ご神体は三穂津姫(大物主神の后)です。 清水次郎長の名代で御参りに来た森石松は本宮と間違えて、次郎長に依頼された刀をこのお社に奉納したという。帰路命を落としたのは、この間違いによって、ご利益が得られなかったためであろうと言われている(地元のガイドさん談)

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↑ 本宮までの石段は786を数えたが、この数は’悩む’に通ずるので、ここで一段下げました(左写真)。
そして、また石段をあがって(右写真)、正味785段で本宮につきます。

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↑ 本宮:ご神体は大物主神と崇徳天皇。ここから、さらに登ると奥社があるが、そこまでは行きませんでした。 

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↑ 境内の標高251mでここからの讃岐平野の眺望はすばらしい。
正面に見える山は飯野山(標高421.9m)で別名「讃岐富士」とも呼ばれている。

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