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2016/01/20

ユリカモメ : 土浦乙戸沼の野鳥(3)

1月17日の鳥見の続きです。 ユリカモメが群れで池に入っていました。ユリカモメは近くでは霞ケ浦周辺、ちょっと遠くでは隅田川の言問い橋周辺、もっと遠いところでは京都鴨川の三条大橋周辺の河原などに飛んでいるのを眺めたことがありますが、ここ乙戸沼では初見・初撮りです。

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↑ ユリカモメが20羽くらい群れで入ってきて飛び交っていました。

耳羽後方の黒斑と目の上から頭頂にかけての淡い黒線が目印しです。

ユリカモメ : カモメ科カモメ属 冬鳥 全長40cm

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↑ 嘴は赤く先端は黒い。

ここ、10年ほど、毎冬この乙戸沼を訪ねてきていますが、節穴探鳥眼だったのでしょうか、いままで一度もユリカモメには会ったことがありませんでした。今年は、ちょっと珍しい年です。

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↑ 食事を終わってゆっくり羽繕いです。

採食は雑食性で、魚類(死んだ魚も食べる)、昆虫類、果実となんでもござれのようです。この沼では、入園者がコハクチョウに与える餌にも群がっていました。

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↑ 長い助走はせず、短い助走で飛び上ることができます。

「ユリカモメ」の名前の語源についてはいつくかの説があり、見解が分かれています。

① 「ユリカモメ」は江戸時代末期には「百合鴎」の和名が見られる。「ササユリやテッポウユリのように白い綺麗な鴎」をイメージして「百合鴎」と名付られたとみられます。

②「ユリカモメ」の「ユリ」は古語で「後」を意味するという。「後」とは、京都の後方、すなわち若狭の海を意味し、「若狭の海から現れた鴎」なのでユリ鷗となったという。

③入り江に住んでいた鴎すなわち「入江鴎(いりえかもめ)」が転訛した。

通説は①の説かと思われますが②③の説も無視できません。

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↑ ユリカモメは、平安時代の初期の頃(西暦9世紀~10世紀)は、「都鳥」とも呼ばれていたようです。

「伊勢物語」に、次のようなくだりがあります。

「白き鳥の嘴と脚の赤き鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、

「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふ人 ありやなしやと」(「伊勢物語」第9段 東下り)

作者不詳ですが、36歌仙の一人、在原業平(西暦825年~880年)と想定されています。

この「都鳥」の説明は、現在のミヤコドリ科のミヤコドリ(背が黒い)よりも。本種カモメ科ユリカモメの描写に近い。

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