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2019/05/12

北海道函館・松前・上の国・江差周遊の旅(1):函館編

5月7日から10日まで、「函館フリープラン4日間」の’’気まま’な旅をしてきました。利用した交通機関は、羽田空港から函館空港までは、予約しておいたAirDOとANAの航空機、道内はJRの鉄道と予約観光バスです。

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↑ 第1日 5月7日 AirDOで羽田空港を出発。
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↑ 1時間30分のフライトで函館空港着。 函館山が目の前に見えます。
市内のホテルに入りチェックインして小休憩したあと、五稜郭の見学に行きました。
場内の桜・ソメイヨシノが大方散っており、遅咲きの桜が咲いていました。
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↑ 早速五稜郭の展望塔にエレベーターでのぼって市内を眺望。遠方に見える山は函館山です。
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↑ 五稜郭のほゞ全体が見下ろせました。現在は創建時の建物は無く公園となっています。
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↑ 展望台には創建時の建物の配置を示した模型が展示されていました。
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↑ 展望台のフロアーには、五稜郭の歴史が模型入りで簡潔に説明されていました。
安政元年(1854年)の日米和親条約によって、箱館開港が決まりました。
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↑ 箱館湾内からの艦砲射撃の射程外に位置する鍛冶村(現在地)に、城郭(五稜郭)を築いて、そこに奉行所を移転することが決まりました。
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↑ そしてその城郭の設計と建設が箱館奉行所で機械製造・弾薬製造の御用取扱を務めていた蘭学者武田斐三郎に任されました。
武田は、その城郭の建設にあたり、従来の日本式のお城ではなく、日本で最初の西洋式城郭を設計し建設した。
1868年4月、大政奉還によって五稜郭は新政府に引き渡され、新政府により「箱館府」が新たに五稜郭に設置された。
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↑ 1868年10月21日 榎本武揚が率いる旧幕府軍が鷲の木(現在の森町)に上陸し、反撃を開始した。
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↑ 10月25日 榎本の率いる旧幕府軍は、新政府軍を打ち破り、函館府知事・清水谷公考は青森へ逃走した。
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↑ 1869年5月 新政府軍の反撃が始まり、函館港内の海からは「甲鉄」が艦砲射撃をして五稜郭を砲撃し、旧幕府軍に甚大なる被害をあたえた。
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↑ この結果、衆議して榎本軍は降伏し、5月18日に五稜郭を新政府軍に引き渡した。
↑ 明治政府になってから、五稜郭は兵部省、後に陸軍省の所管となったが、函館区長の請願により、1913年(大正3年)に使用許可時点の状態を変更することは認めない、土地建物等の保存責任と費用負担などの条件付きで、「五稜郭公園」として一般開放されることが許された。

 

 

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