大型連休が終わり、夏野菜の播種・定植が一段落したので、妙高高原に休養を兼ねて、家内と一緒に5月15~16日2連泊の花見・鳥見プチ旅行をしてきました。
5月末の妙高は地形によっては未だ雪が残っているところもありました。そして高原は春と夏がぐっと圧縮されて訪れたような感じで、冬の終わりから初夏までの季節の花を、林間湖畔を遊歩しながら楽しむことができました。
池の平の湿地帯ではミズバショウは花の最盛期は過ぎていましたが、代わってミツガシワが花を咲かせはじめていました。
森や林ではキビタキの歌を聞き、飛び交う姿を観察し、藪のコルリやノジコの綺麗な鳴き声に耳を傾けて、妙高高原の清々しい自然を満喫して帰って来ました。

↑ 妙高高原は池の平の愛鳥家の間ではよく知られているペンションSGに泊まりました。早朝は鳥好きのペンションのオーナーの案内で鳥見。日中はペンション周辺で散策をしながら、花見・鳥見を楽しみました。
案内図の看板は北を下方にして描かれています。この方が地元の人達にとって都合がよいのでしょうが、国際的には北を上にして図を描くのが普通。初めて訪れた一般人や外国人達は戸惑ってしまうでしょう。要注意!

↑ 池の平「いもり池」の周辺の遊歩道を散策しました。

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いもり池から眺めた妙高山(雲がかかった真ん中の山)。左は赤倉山、右は前山。
山頂に雲がかかっていましたが妙高山を眺めることができました。

↑ いもり池から眺めた残雪の妙高山
(撮影 2014/05/16)。

↑ 池の西側の湿地にはミズバショウが群生していました。
↑ 花は盛りを過ぎていましたが、未だいくらかは残っていました。

↑ ミズバショウ: サトイモ科 多年草。
高山や北国の湿原、湿地林にしばしば群生する。

↑ 純白の大きな仏炎苞に守られて、小さな花が棒状の肉穂花序をなして咲く。

↑ 小花は咲き始めは淡い緑色であるが、咲き進むにつれて次第に葯の黄色が目立ってくる。 まさに「残雪に咲く白い妖精」です。

↑ ミズバショウの群落に混じって小さな白い花を穂状に咲かせている植物が目つきました。

↑ ミツガシワ:リンドウ科 多年草
山地の湿地や沼などに生育する水草。名は根出葉の柄の先につくる3枚の葉がカシワ(柏)の葉に似ていることによります。

↑ 花は白色(時に淡い紫色になることも)で、花の内側には、ちじれた白い毛が密生する。
↑ 花期は比較的長く、4~8月にかけて咲く。
(参照:「野の花・街の花」 監修:長岡 求 講談社)
↑ いもり池の湖畔は一めぐり500~600mで、30分くらいで一周出来ます。
↑ イワツバメが飛び交っていましたが、速くて写真には撮れませんでした。
対岸右の家は湖畔のレストラン「ホンドリス」、左の三角屋根の建物が「東屋」。


↑ 湖畔に「芭蕉苑」というお蕎麦屋さんがありました。そのお蕎麦屋さんのそばに、写真のような碑と石像が建っていました。

↑ 「芭蕉苑」さんの建てられた説明板には「いもり池」の名の由来と、木曽義仲の故事が書かれていました。
この説明文によると、平氏討伐令に応じて挙兵した木曽義仲は千曲川・川中島横田川(横田河原の戦い)で越後の城助職の率いる平家軍を打ち破り、戸隠道から杉野沢、「池の平」を経て、関山に一時留まり、それから北陸道に兵を進めて壽永2年(1123)5月11日、有名な倶利伽羅峠の戦いで平家軍を打ち破り、京都に入ったようですね。思いもかけず約900年ほど前の源平時代の歴史の勉強をすることができました。一つ知識が増えました。芭蕉苑さんありがとさんです。
↑ 新潟焼山(標高 2400m)。 滞在中、晴れ間からひょっこり、雪を被った’新潟焼山’が姿を現わしました。
妙高山、火打山、新潟焼山は頸城山塊を代表する山で、頸城三山と呼ばれています。新潟焼山は新潟県唯一の活火山だそうです。